京都に船で行くって、どうやって?と思いませんか。 どういうルートかというと、琵琶湖から京都に水を引くのに使用ししている「琵琶湖疏水」という水路を通っていくのです。水面からの景色は遊歩道より視点が低くなって、新鮮な印象。船から新緑を楽しみながら京都に向かいました。(こちらの情報は2019年6月時点のものです)
琵琶湖疏水
「疏水」という言葉を今回の旅で初めて知りました。別の場所にある水源から農業や飲料水を得るために水を引く水路のこと疏水と言うようです。「琵琶湖疏水」は琵琶湖の水を京都に送るための水路なのです。この水路が完成した明治23年(1890年)当時、日本の土木技術は外国人技師に頼っていました。琵琶湖疏水は日本人の手で完成させることにこだわり、今の東京大学工学部(当日の工部大学校)を出たばかりの田邉朔郎氏が工事を指揮しました。当時は23歳の田邉氏。まだ実績もない若者に工事の指揮を任せるとは、ずいぶん思い切ったことをした京都です。その思い切ったことをしたのは京都府知事の北垣国道氏です。北垣氏と田邉氏は琵琶湖疏水工事のあとも、北海道の鉄道開拓に貢献したコンビです。
びわ湖疏水船
びわ湖疏水船は「琵琶湖疏水」を進みます。運行は季節限定で、春は桜の時期から新緑を楽しむ時期に合わせて、3月の終わりから6月末まで。秋は紅葉の時期に合わせて、10月から11月末くらいまでが運行期間です。詳しくは公式サイトをご覧ください。
乗船には予約が必要
びわ湖疏水船の船は小さく1隻に12人しか乗れません。トンネルを抜けるのであまり大きな船は使えません。定員が少ないので事前に予約が必要です。ただしかなりの激戦です。私も実際予約してみて、土日の便は予約開始と同時にあっと言う間に完売という印象です。出遅れると、1席しか開いていないとか、希望の便はもう満席という感じでした。私は今回予約開始後10日くらいしてから予約したのですが、予約できたのは午後3時45分に大津を出発する便のみでした。どうせ京都まで行くなら、お昼過ぎには京都について京都観光でも、と思っていたのでしが、そういう便は人気のようです。逆に言えば、最終便なら比較的空きがあるとも言えますね。
大津発と京都発の2つのルートがある
同じ船が水路を行ったり来たりするので、大津から京都に向かう下りルートと、京都から大津に向かう上りルートの2つのルートがあります。水路の水は大津(琵琶湖)側から京都に向かって下って行くので、今回はその流れに乗るコースを選びました。この場合乗船時間は55分。逆に京都から大津に向かう上りルートの場合は、乗船時間は35分と短くなります。料金はどちらも同じです。
大津の乗船場
大津の乗船場は「大津閘門」です。京阪石山坂本線の「三井寺駅」から徒歩2分なので鉄道でのアクセスが便利です。
私は今回、鮒ずしを買うという用事があり、一つ手前の「浜大津駅」で下り、鮒ずしを買い、そこから歩いて「大津閘門」まで行きました。それでも20分程度で、途中には大津市のカラーのデザインマンホールがあって、ちょっと得した気分。
大津市はマンホールカードを配布していて、時間に余裕があればもらいに行きたかったのですが、今回は余裕がなく断念しました。
乗船場への入り口はこちら。水道局の施設の中にあります。入り口は大変質素なので通り過ぎてしまわないように。一応、小さな看板があり、係りの人が門の前に立っていました。
こちらが乗船場の「大津閘門」。左側の水門の向こう側が京都に向かう水路です。
乗船前に説明を聞いて学びを深める
船の出発時間時間の30分前に集合です。乗船前に琵琶湖疏水と安全上の注意について説明があります。説明が終わるとそのまま乗船場に向かうので、トイレは説明が始まる前に済ませましょう。もちろん小さな船にトイレはありません。乗船場のトイレは綺麗なウォシュレット機能付きトイレでした。
室内には疏水工事の様子が展示されています。見ると水路のトンネルは手掘りですね。大変な難工事だったのだと思います。
説明は琵琶湖疏水の工事を提案し推進した当時の京都府知事、北垣国道氏がビデオで説明してくれます。
北垣氏の説明の後は、疏水船のガイドさんが登場して安全上の諸注意を教えてくれます。私が乗った船のガイドさんはとてもユーモアたっぷりで、乗船前からとても楽しめました。ガイドさん含め、疏水船のスタッフは京都市水道局の方なのでしょうか?
乗船場へ向かう
説明が終わったら、スタッフの後について水路の脇の通路を通って船に向かいます。このあたりは桜の時期はとても美しいのだそう。桜の季節にも来てみたいです。
きれいに積まれた石とレンガで造られた水門に何かこう風格のようなものを感じます。
乗船場にきました。船の先には第一トンネルの坑口が見えています。水路上にあるトンネルの中で一番長いトンネルです。いきなりあのトンネルに入るんですよ。
船はあらかじめ席が割り振られていて、名前を呼ばれた順に一人ずつ乗船します。船が傾かないよう、左右一人ずつ乗っていきますが、2人で申し込んでいる場合は隣同士になるよう配慮してくれています。
出発から下船まで
全員が乗船し、救命胴衣の準備ができたら出航です。ガイドさんと船長さんを入れて合計14名の旅路です。出発の際には疏水船のスタッフが盛大にお見送りしてくれます。
第一トンネル
出発してすぐに第一トンネルに入ります。第一トンネルは長さが2,436m、建設当時は日本最長のトンネルでした。トンネルの長さが長いため、両端から掘るだけでなく、途中に深さ47mの竪坑を割り、その竪穴からも両方に向けて掘り進む形式をとりました。こうした竪坑方式は日本で初めて採用されました。
トンネルの坑口の上には額がありますが、これは「扁額」と言います。疏水のトンネルに限らず、古いトンネルにはこうした扁額が掲げられているトンネルもありますね。完成当時の有力者が文字を書いています(揮ごうと言います)。第一トンネルの東口の扁額は初代内閣総理大臣、伊藤博文氏による「気象萬千」の文字が刻まれています。
出発してすぐに第一トンネルです。トンネル内は照明もなく真っ暗。コウモリとかはいませんでした。魚はいるのかなー。
昔は水路を泳ぐ人もいたとか。乗船場付近から水路に飛び込んで京都の蹴上までトンネルを泳ぎ、山を越えて帰ってくるのがガキ大将の証だったとか。今はもちろん遊泳禁止です。真っ直ぐなトンネルなので、針の穴のような出口が見えます。 トンネルの内部は、完成当時はレンガか石で巻いてありましたが、現在はコンクリートになっています。補強のためです。
この真っ暗なトンネルの中にも扁額があります。揮ごうした人は工事を提案し推進した京都府知事の北垣国道氏。ガイドさんがライトで示してくれますが、暗いので写真撮影は難しい。
やがて第一竪坑の下を通ります。第一竪坑の工事では湧水に苦労しました。この穴に飛び込んで自殺した技術者もいたのです。その湧水は今も続いていて、竪穴からは滝のように水がトンネル内に落ちていました。船には透明な屋根がついているので、人が濡れることはありません。ご安心を。
第一トンネル出口付近
第一トンネルの出口(西口)に近づきました。このあたりが疏水船の一番のハイライトと思います。出口の向こうに見える新緑が素晴らしい。こちらはトンネルの中で暗いので、一層鮮やかに見えます。季節によって、この景色は桜だったりもみじだったりするのですね。どの季節も素晴らしい絶景だと思います。
この日は午前中に雨が降っていたので、緑がよりいきいきしているように感じます。
第一トンネルの出口(西口)の扁額の揮ごう者は山縣有朋氏。
第一トンネルを出た後も船は流れに沿って水路を京都に向けて下ります。それでもエンジンはかかっています。このあたりからはたくさんの橋の下を通ります。
こちらは緊急遮断ゲートで、地震があると自動で閉じるシステムです。下を通る時に地震がなくて良かったですね~とガイドさん。
こちらはこの疏水に架けられた最初の橋で藤尾橋と言います。橋台は建設当時のものだそうです。
諸羽トンネル付近
次のトンネルは「諸羽トンネル」。こちらのトンネルは疏水工事の時に掘られたものではなく、新しいトンネルです。JR湖西線を通すために、最初に掘った水路を埋め立てて、こちらにトンネルを掘って水路を通したのです。
船はさらに京都に向かって水路を進みます。
水路脇の遊歩道を散歩している人が手を振ってくれたりしますので、こちらからも振り返しましょう。
前方の朱塗りの橋は本圀寺正嫡橋です。
第二・第三トンネル付近
続いて第二トンネルに入ります。トンネルとしては3つ目ですが、先ほどの諸羽トンネルはあとから作られたトンネルなので、順番の数の中に入らないんですね。第二トンネルは疏水のトンネルでは一番短く、長さは124mです。もう出口が見えています。
第二トンネル入り口(東口)の扁額は、横書きに見えますが、実は右から縦書きで書かれていて、揮ごうしたのは井上馨氏です。
第二トンネルは東口側は円形ですが、西口の出口付近になると天井の形状が馬蹄形に変わります。
こちらが西口。西口にも扁額は西郷隆盛の弟である西郷従道の揮ごう。
続いて第三トンネル。トンネル手前の橋は、日本で初めて作られた、鉄筋コンクリートの橋ですが、橋の名前が「第11号橋」という、あまり感動しない名前です。
橋の横には、日本初の鉄筋コンクリート橋を示す「本邦最初鐡筋混凝圡橋」という碑が建っています。
第三トンネルは長さ850mと、ちょっと長さがありますね。
第三トンネルを抜けたら、終点の蹴上です。スタッフがいるところが下船場。
第三トンネルの西口にの扁額は、太政大臣の三条実美氏の揮ごう。
旧御所水道ポンプ室
下船も一人ずつおりるので、最初の人がおりてから12人目の乗客がおりるまでには少し時間がかかります。下の写真の座席に残されているウェストポーチみたいなのが救命胴衣です。救命胴衣と言うとベストみたいなのを想像しますが、こちらのタイプは腰に巻いておいて、水に落ちた場合に勝手に膨らむのだそうです。
下船場の脇には、旧御所水道ポンプ室。防火用水を御所に送るために造られました。火災の時に、御所の高い屋根にも水が届くようポンプが設計されているとのこと。水道設備の敷地内にあるので、普段は観光客の目には触れないようです。なかなか美しい建物なんですけどね。
第二疏水
下船場の向こうにもう一つ水路が見えます。あちらは第二疏水。
琵琶湖の取水口からずっとトンネルでここまで来ます。用途は飲料水なので、汚染を防ぐためすべてトンネルにしています。第二疏水は今私が船に乗って下ってきた第一疏水の北側にほぼ平行に設置されています。
蹴上エリア
下船場の蹴上エリアにはいくつかの遺構があります。
蹴上インクライン
疏水は船での物流も担っていました。蹴上と鴨川の間には約36mの高低差があります。船のまま鴨川に行けるようにしたのがインクラインという設備。今は使用されていませんが、昔のレールや船を乗せた台車などが保存されています。
疏水から船を台車に乗せて、レールを走ります。
鉄道ファンが好きそうな場所に見えます。
このレールが敷かれているところは、両脇に桜が植えられていて、カレンダーなどで見かけます。下の写真はフリーの写真素材から持ってきました。こんな時期にも来てみたいです。
ねじりまんぽ
上記のレールが敷かれているインクラインの下をくぐるトンネルの名前です。
「ねじりまんぽ」っておもしろい名前ですが、内部を見て、なるほどねじってある、と思いました。「まんぽ」というのはトンネルという意味です。
「ねじりまんぽ」にも扁額があり、両側とも疏水工事を推進した京都府知事の北垣国道氏によるものです。
南禅寺水路閣
今回訪問しませんでしたが、この近所にはレンガ造りの水路閣と呼ばれる建造物があります。次回来る時にはこちらにも寄ってみたいです。写真はこちらもフリー素材から持ってきました。
琵琶湖疏水記念館
今回は下船した時が17時近くて行けなかったのですが、蹴上の下船場近くに「琵琶湖疏水記念館」という建物があります。疏水について学べる施設のようです。
展示内容にも大変興味がありますが、こちらの記念館では京都市のマンホールカードをもらうことができるんです。配布時間は午前9時から夕方4時半までだそうです。次回はもっと早い船に乗って、疏水記念館にも行きたいと思います。
まとめ
水路を通って京都に向かうというなかなかレアな体験ができるコースで大変楽しめました。船に乗っていると、土手の歩道より視線が下がるので、普段と異なる景色を楽しめます。今回は6月に行きましたが、本当に新緑が美しく絶景でした。また船のガイドさんの説明もユーモアたっぷりで、55分間の旅はあっという間。ガイドさんは何人かんはいるようですが、皆さんユーモアたっぷりなんでしょうかね。今回私達を担当してくれたガイドさんは「吉川さん」でご本人は「トムと呼んでくれ」と言っていました。トムといく船の旅だからトム・クルーズだ! というのも面白かったです。次回は季節を変えて乗りに行こうと思います。
びわ湖疏水船のサイトはこちらです。
「琵琶湖疏水」の歴史や、工事の様子などは田村喜子さんの著書「京都インクライン物語」に詳しく紹介されています。
- 作者:田村 喜子
- 出版社/メーカー: 山海堂
- 発売日: 2002/02
- メディア: 単行本
田村喜子さんはこうした日本の土木事業について執筆されていて、山陰本線の餘部橋梁についての本も読みとても知的好奇心を刺激されました。
旅の前にはこういう本で予習してから行くと、より旅を楽しめます。
京都市のマンホールカード
びわ湖疏水そのものが水道局の施設なので、下船場の近くには京都市のマンホールカードを配布している場所があります。
それでは皆さまも良い旅を~